【死ぬのが怖い 心理】人生の意味に迷う人がフッと救われる体験談

「死」――それは、私というものがなくなること。

近しい人たちとの別れ、いつか私にもその日はやってくる。
真剣に捉えようとするほど悲観的になり、つらくなってしまいます。

私自身も、保育園の頃から死の恐怖に飲み込まれて
しまうことが多くありました。
死とはどういうものなのだろう、
死んでしまったらどうなるのだろう。
そんな思いが頭を埋め尽くします。

身体はなくなり、存在そのものが消えてしまう。
では、そのとき、この私の意識はどこへ行くのだろう。
死について考え始めると、いつも決まった空想が始まりました。

【体験談】孤独な空想|「死ぬのが怖い 心理」の奥で私を苦しめた意識

私の身体はありません。意識だけが存在しています。
それは真っ暗な宇宙のような空間です。

無重力の宇宙を、私の意識だけがいつまでも彷徨っています。
どこまでも終わりがありません。
暗闇は永遠に続いています。時間がどれだけ流れても、
私の意識は消えることなく存在し続けています。

「いつまでこうして彷徨うのだろう」
「いつ終わりが来るのだろう」
「そもそも終わりとは何なのだろう」

意識だけが存在し、考え続けているのです。

もしかすると、別の身体で再び生まれるのではないか。
そんな想像もしました。別の身体で、別の人生を生きる私。
けれど意識は今の私のままです。
もしその身体が死んだらどうなるのだろう。
また別の身体で生きるのだろうか。
そうだとしたら、生まれ変わりはいつ終わるのだろう。
繰り返される誕生と死を思うと、
この悩みも永遠に続くように感じるのです。

もしかしたら、生まれ変わった新しい私の身体は、
別の意識を持つのかもしれない。もしそうなら、
これまでの私の意識はどこへ行ってしまうのだろう。
そもそも、生まれ変わりなどないのではないだろうか。
もしそうなら、この意識だけが、あの真っ暗な空間を
永遠に彷徨い続けるのだろうか。

どの想像も、私を苦しめていきました。

意識だけが永遠に彷徨うことも恐ろしい。
生まれ変わり続けるのだとしたら、
その終わりが見えないことも恐ろしい。
新しい意識に変わってしまうのも、
また恐ろしいことでした。
死後の自分を想像するたび、涙が溢れてきました。
夜、布団の中で死について考え出してしまうと、
眠れなくなりました。

根源的な問い|終わりがあるのに「なぜ人は生きるのか」という不条理との対峙

生きている者は、誰もが確実に死へと向かっています。

いつか必ず訪れる自分の死。それを思うと、
ある疑問が湧き上がりました。
「なぜ人は生きているのだろう」
「私は何のために生きているのだろう」
「この人生に意味はあるのだろうか」

もし生まれてこなければ、
こんな悩みを持つこともなかったはずです。
私は何のために生まれたのか、わからなくなりました。

どれだけ考えても、答えなど出るはずがありません。
けれど、この問いを誰にも打ち明けることもできませんでした。
私は一人で、湧き上がる疑問と向き合っていました。

生きる希望を失いそうになりながらも、死ぬことは恐ろしい。
死ぬよりは生きていたい。
けれど、何のために生きているのかは分からない。
そんな思いの中で、私は子ども時代を過ごしていました。

年齢を重ねるごとに死を思い涙することはなくなりましたが、
やはり死への恐れと、いつか必ず死ぬにもかかわらず
何のために生きるのかという疑問は、心のどこかにあり続け、
決してなくなることはありませんでした。もしかしたら、
その疑問こそが私の生きにくさの根源だったのかもしれません。

執着の解放|意識と思庫を手放し「私とは何か」の捉え方が変わった転機

死の恐怖を和らげてくれたのは、過去世瞑想との出会いでした。

幼い頃の私には「意識」という考え方しかありませんでした。
それはどういうことかと言いますと、
私というものはこの意識であると信じていたのです。
もっと言えば、意識し思考することが私です。

しかし、過去世瞑想ではその意識を手放します。
意識ではない私を体験します。また、
人は生まれ変わり(転生)するという根本的な考え方があります。
それを認めたとき、私は自分の考え方が間違っていたのではないか
と思うようになりました。

生まれ変わっていく何かがある。それは意識であるとは言えない。
私という存在は、意識と思考だけではない。

仏教では「無我」という言葉があります。
やはり意識、思考を手放そうとします。
私は自分のこの意識や思考ではないとわかったとき、
フッと楽になれました。

少し混乱した説明になってしまいますが、
私という人間は過去何度も生まれ変わり、
今は私として生きている。
過去の私は、意識としては私ではありません。
でも、何かつながっている。
きっとこれからもつながっていく。
それを意識思考で捉える必要がないとわかったのです。

証明ではなく心が救われること。「生」への希望を取り戻す捉え方

もちろん過去世があるとか、人が転生するとか、
それは事実として証明されてはいません。
それを事実だと証明したいのではなく、
誰かに押し付けようとも思いません。

過去世や生まれ変わりの証明がしたいのではなく、
ただ、私は楽になれたというだけです。

「死」というものを意識や思考ではなく、
違う捉え方ができたとき、「死の恐怖」を和らげることが出来た。

「死」というものに囚われる必要がなくなったことで、
「生」への希望を持つことが出来たのです。

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