祈りと瞑想の習慣|心が乱れる私が、それでも祈り続ける理由

祈りから始まる一日

私の一日は祈りから始まります。
手を洗い、口を漱ぎ、神棚の前に進みます。

今日もまた目覚められたこと。
今日も一日、生きさせていただけること。
その有り難さを、静かに伝えます。

神社でいただいたお札だけでなく、
お寺でいただいたお札にも手を合わせ、
「今日も生きさせていただくこと」を報告し、感謝を捧げます。

その後、朝食をとり、瞑想の時間に入ります。


瞑想しても静かにならない心

瞑想の時間は、地球に生きていること、
そして森羅万象とのつながりを感じるためのものです。

しかし現実は、そう簡単ではありません。

静かに座っているはずなのに、
頭の中では次から次へと様々な思考が湧き上がります。

気になることがあれば、それが離れない。
やるべきことがあれば、その段取りを考え始める。

無になるどころか、
穏やかに過ごすことさえ難しい日もあります。

それでも、この時間はいつしか
欠かすことのできない日課となりました。

瞑想とは、
何も考えないことではなく、

むしろ、
雑念に振り回されている自分を観る時間なのかもしれません。

朝からこれほどまでに思考が溢れてくる自分。
その姿を、少し距離を置いて見つめる。

そのような自分であっても、
なお「生かされている」という事実に気づくとき、
自然と有り難さが湧いてきます。


祈りは「つながりに戻る作用」

私にとって祈りとは、
単なる習慣ではありません。

それは、
つながりへと自分を戻すための作用です。

今日も目覚められたこと。
今日も生きていられること。

その事実に触れることで、
私は少しずつ元の位置へと戻っていきます。

瞑想もまた同じです。

地球とのつながり、
森羅万象とのつながり。

そして、
自分一人で生きているのではないという感覚を
もう一度思い出させてくれる時間です。

仕事に入る前には、仏壇に手を合わせ、
両親の遺影に挨拶をします。

今の自分があるのは、
両親、そして先祖のつながりがあるから。

そう理解しているはずなのに、
日常の中でその感覚は、簡単に薄れていきます。

気づけば、
「自分が何とかしなければ」と考え、

イライラし、焦り、
時間に追われ、余裕を失っていく。

穏やかでいることは難しく、
心が荒れることは、あまりにも容易です。


それでも祈る理由

だからこそ、また祈ります。

独りよがりに生きるのではなく、
つながりの中にいる存在であることを思い出すために。

神様、仏様、お先祖様。
そして、今、目の前にいる人たち。

どれほど多くの支えの中で
自分が生きているのか。

それを忘れてしまう自分を、何度も反省します。

本来、すべては有り難いはずなのに、
その有り難さを感じられなくなる。

そして、また気づき、また祈る。

その繰り返しです。

毎朝祈っているにもかかわらず、
すぐに忘れてしまう自分。

その矛盾が、どこか滑稽にも感じられます。

それでも、
祈りの時間を持たなければ、
私はすぐに切り離されてしまう。

だから今日も、祈ります。

ざわつく心を鎮めるために。
そしてもう一度、つながりの中へ戻るために。

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