考え過ぎて苦しいのはなぜ?|意識とは何か。私たち世界を受け取る仕組み

人の何気ない一言が、ずっと気になってしまう。
同じ出来事でも、ひどく傷つく日がある。
頭では「気にしなくていい」とわかっていても、苦しくなる。

そんなとき私たちは、
現実そのものに苦しんでいるというより、
その出来事をどう受け取り、どう意味づけしているかに苦しんでいるのかもしれません。

この記事では、「意識」という視点から、
私たちがどのように世界を受け取り、
なぜ苦しさや迷いが生まれるのかを見つめていきます。

意識とは何だろうか。

私たちは常に何かを意識しています。
それは単に「見る」「聞く」といった行為だけではなく
対象をどのように捉え、どう感じ、
どう判断するかまで含まれています。

目の前にあるものが、人であっても物であっても
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった
感覚を通して対象に触れ、
同時にそれが何であるかを認識し、何らかの印象を持ちます。

たとえば暗闇の中で何かを感じたとき。
それが何であるかを想像することも意識であり、
感覚を使って捉えようとすることも意識です。

そして最終的に「これは何か」と自分の中で結論づけるまで、
そのすべてが意識の働きと言って良いでしょう。


意識の具体例

目の前にコップがあるとします。

それに気づき、目で見る。
「コップだ」と認識する。
さらに「大きい」「派手な色だ」と感じる。

そこから、
「200mlくらい入りそうだ」
「自分には大きすぎる」
「持ちにくそうだ」
と考えを巡らせる。

そして最終的に「自分には不要だ」と判断し、意識から外れる。
ここまでのすべてが意識です。


感じ方はどこから生まれるのか

では、
「素敵だ」「好みではない」といった判断はどこから来るのだろうか。

目の前には、ただ人や物が存在しているだけでも
私たちはそこに意味を見出し、価値を与えます。

例えば素敵だと思える人と出会ったとき
顔立ちや体型を見て「素敵だ」と感じます。
香りがしてきたなら「良い匂い」と判断します。

そうして、その人は「素敵な人」として意識されます。

この判断の基準となっているものは、
自分が持っている価値観、先入観、ものの見方、
思い込みと言っても良いのでしょう。


判断基準はどのように作られるか

それらの基準はどこから来るのでよう。

一部は生まれ持ったものかもしれない。
しかし多くは、生まれてからの経験の中で形成されたもの
ではないでしょうか。

言葉は誰から学んだのか。
社会のルールはどのように身につけたのか。
そう考えていくと、
すべてを自分だけで作り出したとは言えません。

人と関わらずに育てば、言葉を話すことはできません。
つまり私たちは、他者や環境から強く影響を受けていると言えます。

では、同じ環境に育てば同じ人間になるかと言えば
そうではなく、
同じ親のもとで育ったとしても、価値観が完全に一致しません。
そこには個々の受け取り方の違いがあるからです。

意識の土台には、生まれながらに持っているものがあると思います。
そこに、親や周囲との関わりが加わり、反応が生まれ、意識が形作られていく。

つまり意識とは、
生まれ持った要素と、後から加わる経験の積み重ねだと思うのです。

同じ環境で育っても、人は同じようにはなりません。
それは、生まれ持った要素と、経験の受け取り方が違うからです。

私たちが普段使っている良い悪いという評価も、
絶対的なものではありません。
時代や社会によって基準は変わり続けています。

ある時代では否定される性質が、別の時代では評価されることもります。
私たちは、その時代と環境の中で意識を形成しているのです。


意識と思考

人は成長するにつれて、自ら判断し、行動することを求められます。

教育や社会生活の中で、
論理的に考える力や、自分の意見を持つことが必要になります。

その過程で、多くの知識や経験が蓄積されていく。
そしてそれらが、意識と思考の質を変えていきます。

幼い頃、世界は新鮮だったのではないでしょうか。
雲の形が変わることを楽しみ、
虫の声に耳を澄ませていたと思います。

しかし成長するにつれて、
多くのことに慣れ、意識を向けなくなってきました。

雲を眺めることは減り、
虫の鳴き声に耳を傾けることも少なくなり
見えているはずのものも、聞こえているはずの音も、
意識しなければ存在しないのと同じになっています。

何かを見るとき、私たちはまず焦点を当てます。
次に、それが何であるかを認識します。

名前を知っていれば、それを当てはめ、
知らなければ、特徴から理解しようとします。

たとえばキウイを知らない場合、
「茶色くザラザラしたもの」
「卵くらいの大きさ」といった形で認識すするでしょう。

この特徴を捉え、自分なりに認識します。


意識は「加工」されている

私たちは、物事をそのまま見ているわけではなく、
必要な情報を取り入れ、不要な情報を切り捨て、
そこに感情や経験を加えていきます。

つまり意識とは、
「現実の加工結果」であると言っても過言ではないでしょう。

同じものを見ても、人によって受け取り方は違います。
それは、それぞれの経験や価値観が異なるためです。

伝言ゲームのように、
情報は人を通るたびに変化します。
意識と思考が加わり、
「その人なりの現実」へと変換されてしまいます。


経験が思考を作る

経験が増えるほど、思考に加わる要素も増えます。

知識、感情、過去の記憶。
それらが重なり、物事の見え方が変わっていくもの。

キウイ一つでも、
味、産地、価格、好みなど、多くの情報が重なるようになります。

そして最終的な判断は、
それらすべての影響を受けていきます。

思考とは、
感覚、認知、経験が重なり合った総体であるといえます。

私たちは世界をそのまま見ているのではなく、
自分なりに解釈し、意味を与えている。

そしてその思考は、
生まれ持ったものと、経験の積み重ねによって常に変化し続けています。

コメント

本来のあなたへ還るひとときを

      対話し、土に触れ、心を整える場所「HANE]
      愛知県稲沢市のサロンで、あなたをお待ちしています。

サロン「HANE」公式サイトへ

タイトルとURLをコピーしました