「○○しなければならない」に縛られていた
幼い頃「○○しなさい」「○○であるべき」
といった言葉を投げかけられてこなかったでしょうか。
「早く寝なさい」「宿題はしなければならない」
「勉強しなさい」「歯を磨きなさい」等々
あげ始めればきりがありません。
親から、先生から、
毎日のように多くの「すべきこと」を求められてきました。
生きづらさの一つは、そうした
「○○しなければならない」という
考え方にあるのではないでしょうか。
たとえば、私の場合、
・人がどう思うか考えてから発言しなければならない
・人の役に立つ子でなければならない
そんな考えが、いつの間にか当たり前のように自分の中にありました。
親の思いと、子どもの受け取り方
幼い私が、やがて社会へ出ていくために。
親には、教えておかなければならないと思うことがあったはずです。
親から見れば、心配も多かったことでしょう。
実際、私自身も親になったとき、
子どもに対して「こうあってほしい」という思いを持ちました。
それは自然なことです。
けれど、親の価値観や思いを、
そのまま子どもが持って生まれてくるわけではありません。
親にしてみれば「なぜこの子はこういう言動をするのだろう」
そう感じることも、きっと多かったと思います。
親には、身につけさせたいマナーや常識がある。
一方で、子どもには子どもの感じ方があります。
私がつくりあげた「当たり前」
親が伝えたかったことを、私はそのまま受け取っていたのか。
それは、正直わかりません。
ただ一つ言えるのは、
私の中に「こうしなければならない」
「こうでなければならない」という
“当たり前”ができあがっていったということです。
それは、もしかすると
親の思いそのものではなく、
私がつくりあげた解釈によるものだったのかもしれません。
ある考え方に縛られてしまうと、
常に立ち止まって考え続けることになります。
「どうあるべきか」
「これは良いのだろうか」
目の前の出来事一つひとつに対して、
判断しなければならない感覚が生まれていきます。
本来の自然な反応ではなく、
”どうするべきか”を優先した反応です。
「よく考えなければならない」
そう思っていました。
では、どのように対応すれば良いのか。
それは、私自身の価値観との照らし合わせです。
そして、その価値観はこれまでに受けてきた影響を強く受けていました。
私は無意識のうちに、
”気に入られるように”選択をし続けていたのです。
気づかないまま苦しくなっていた
何に対しても「どうすべきか」を考えなければならない。
そう思い込んでいることにすら気づかず、
ただ、苦しさだけが残っていきました。
これは、親のせいだと言いたいわけではありません。
もし、私と同じように
「○○しなければならない」と考えてしまう人がいるとしたら、
その生き辛さの理由の一つとして、
こうした構造があるのかもしれない。
そう思うのです。
あなたの中にも“○○しなければならない”という思いは
あるでしょうか。
私は自覚することのないまま大人になり、
長い間生きづらさの中にいました。
(そんな私についてはこちらを)
自分を見失うのはなぜ?|評価を気にしないために
しかし、そうした考え方をしている自分に気づき、
少しずつ手放すことができました。
それはどのような道筋だったのか、
こちらからお読みください>
生きづらさの原因に触れ、
同じ悩みを抱えている人がいると思うだけでも
心は楽になります。

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