「○○しなければならない」に縛られていた
私が感じていた生き辛さの一つは、「○○しなければならない」という考え方にありました。
「○○でなければならない」「こうあるべきだ」という思考です。
たとえば、
・人がどう思うか考えてから発言しなければならない
・人の役に立つ子でなければならない
そんな考えが、いつの間にか当たり前のように自分の中にありました。
親の思いと、子どもの受け取り方
私という子どもが、やがて社会へ出ていくために。
親には、教えておかなければならないと思うことがあったはずです。
親から見れば、心配も多かったことでしょう。
実際、私自身も親になったとき、子どもに対して「こうあってほしい」という思いを持ちました。
それは自然なことです。
けれど、親の価値観や思いを、そのまま子どもが持って生まれてくるわけではありません。
「なぜこの子はこういう言動をするのだろう」
そう感じることも、きっと多かったと思います。
親には、身につけさせたいマナーや常識がある。
一方で、子どもには子どもの感じ方があります。
私がつくりあげた「当たり前」
親が伝えたかったことを、私はそのまま受け取っていたのか。
それは、正直わかりません。
ただ一つ言えるのは、
私の中に「こうしなければならない」「こうでなければならない」という“当たり前”ができあがっていったということです。
それは、もしかすると
親の思いそのものではなく、私がつくりあげた解釈だったのかもしれません。
ある考え方に縛られてしまうと、常に立ち止まって考え続けることになります。
「どうあるべきか」
「これは正しいのか」
目の前の出来事一つひとつに対して、
判断しなければならない感覚が生まれていきます。
本来の自然な反応ではなく、
“正しいかどうか”を優先した反応です。
「間違った対応はしてはいけない」
そう思っていました。
では、その“間違い”や“正解”は誰が決めていたのか。
それは、私自身の価値観です。
そして、その価値観は親の影響を強く受けていました。
私は無意識のうちに、
親が気に入るような選択をし続けていたのです。
気づかないまま苦しくなっていた
何に対しても「どうすべきか」を考えなければならない。
そう思い込んでいることにすら気づかず、
ただ、苦しさだけが残っていきました。
これは、親のせいだと言いたいわけではありません。
もし、私と同じように
「○○しなければならない」と考えてしまう人がいるとしたら、
その生き辛さの理由の一つとして、
こうした構造があるのかもしれない。
そう思うのです。
あなたの中にも“○○しなければならない”
は、あるでしょうか。

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