自分を否定してしまう|自分を受け入れるために

生まれてきたことへの否定

なぜ私が生まれてきてしまったのか。
自分という存在を否認していた時期がありました。
生まれてこなければ、苦しむ必要はなかったのです。

しかし、自分という存在を消してしまうのは恐ろしく、
死の恐怖にさいなまれ続けてもいました。
生まれてこなければ死を思う苦しみもなかったはずです。


思春期の怒り

思春期を迎えると、そうした思いは怒りとなりました。
自分を受け入れられず、自分のことがわからないのです。
どうして良いかわからない苦しみを周囲へと向けるのです。

それは、自分へのいら立ちでした。
自分をコントロールすることさえできず、
何に腹を立てているのかさえ分かりませんでした。

それなら、いっそ面白おかしく生きていけばいいと思いました。
友人たちと過ごすことで気を紛らします。
それはある意味、逃避していたのだと思います。

自分という存在の将来に希望が持てません。
いったん人生に躓いてしまうと、敗北者のようなり、
自分の将来に何の期待もなくなってしまいました。


運命にすがろうとした私

世の中には運よく生きていく人がいます。
人生は運命の働きによって導かれていくのなら
その力にすがったならうまく生きられるかもしれません。

気づけば私は、何かしらと取引を始めていました。
良い行いをしますから、良い運命を私にくださいと。
それは、自分を委ね任せているのとは違いました。

運命に任せようとしているのではありません。
私がすることに対して、良い結果を下さいと願うのです。

何かしらの大きな力の働きに助けてほしいと叫びながら、
自分の力だけでは生きていけないと思いながら、
やはり自分を中心に考え続けていました。


人生の心理段階

キューブラーロス氏は人が死に直面したとき
五段階の心理変化があると唱えています。
その変化は、死を直面したときでなくても、
人生そのものに当てはまるのではないか思います。

死の五段階についてはこちらでも紹介していますが
「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」

生まれてきた自分と言う存在を否認し
思うように生きられない自分に怒り
どうにか上手く生きさせてほしいと取引をし
ときには、落ち込みもします。

私はいつか私を受容できる日がくるのだろうか。
いつまでも自己中心的自分に落ち込みました。
いつまで同じ繰り返しをしているのか、嫌にもなりました。

それでも私は今も生き続けています。
自分を、人生を、受容できているかわかりません。
五段階の心理を行ったり来たりし続けています。


それでも生きていく

様々な経験をしながら、
やっと自分を受け入れることができたとき
行ったり来たりしてきた自分さえも
認められるようになりました。

早い段階で受容できなくても良いのだと思います。
完璧な自分になどならなくても
何者にもならなくても、いつか分かる日が来る。

自分を認め受容できたとき、人生は楽になりました。
自分を見つめてみる。
そんな体験はこちらから
知らなかった自分に出会う|坐禅体験でのこと

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