腑に落ちない僧侶の答え
「どうすれば人の役に立てるでしょう。
私は何者かになって、役に立てる人になりたいのです」
答えを求める私に対して僧侶は答えてくれました。
「何も特別なことはありません。
あなたが楽しく生きていたなら、
あなたの姿が喜びに溢れていたなら、
何もしなくても、周りの人々の方から聞いてきますよ」
あなた自身が楽しく生きるだけであって、
特別に何かをする必要などないとおっしゃいます。
そう言われても私はすっきりしませんでした。
気の利いた言葉を使い、素敵な話ができる人に憧れました。
私が聞きたかったのは、そういう話ではないと思いながら、
釈然としない気持ちでいました。
しびれる足と、僧侶の笑顔
腑に落ちない私でしたが、
何者にもならなくても、今できることがると言われた私は
「今の私に何が出来るのですか」と食い下がることもできず
話は別の話題へと移っていきました
その後、様々な話をしながらどれだけ時間が過ぎたでしょう
足のしびれが激しくなっていました。
私は座布団をお借りしていますが、僧侶は畳にじかに正座
いくら正座には慣れているとはいえ、きっと足は痛いはずです。
それでもニコニコと表情一つ変えずに話に付き合ってくれます。
「どうしてそんな風に楽しそうに笑っていられるのですか」
そう僧侶に問いかけた後で、ハッとしました。
それまで腑に落ちていなかった僧侶の話に納得できたのです。
私の表情はどうだったでしょう。
私は何者にもなれない不満がにじみ出ていたでしょう。
きっと難しい顔で僧侶と向き合っていたに違いありません。
今の私にも、今すぐにでもできることがある。
私にもできる和顔施
仏教には和顔施(わがんせ)と言う言葉があるそうです。
お布施は、何もお金だけに限ったものではなく、
笑顔と優しい表情で人と接することもお布施になります。
それは、何者でもない今の私にもできます。