人の目が気になる人へ|生きづらさの原因と自分らしさの正体

人の目が気になるとき ― 生きづらさの原因

生きづらさを感じてしまう。
その原因の一つに、「人の目が気になる」ということがあります。

誰かの反応や視線を通して、自分という人間を捉えてしまう。
そのような経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。

心理学者の アルフレッド・アドラー は、
「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と語りました。

私たちは悩みだけではなく、喜びや存在価値もまた、
他者との関わりの中で実感しています。


他者の中で形づくられる「自分」

自分という人間がどのような人間なのか。
それもまた、多くの場合、他者との関係の中で感じています。

たとえば「優しさ」という言葉も、
他者との比較の中で生まれるものです。

自分の存在の意味も、
誰かとの関係の中で自分がどのような役割を果たしているかによって
感じているのではないでしょうか。


SNSが強める「他人の目」

現代社会では、以前にも増して他人の目が気になりやすくなりました。

SNSの発達によって、
本来なら知らなくてもよかった人の反応まで見えてしまいます。

目の前の人の反応だけではなく、
会ったこともない誰かの評価まで感じてしまう。

そうした環境の中で、
人の目を気にしすぎてしまうのも無理のないことなのかもしれません。


個人としての自分と、社会の中の自分

人は一人の人間として、

  • 個でありたい
  • 自由でありたい
  • 私らしくありたい

と思うものです。

その一方で、
社会の一部として受け入れられていたいという思いもあります。

この二つのバランスが取れているときは、
私たちは比較的穏やかに生きることができます。

しかし、そのバランスが崩れてしまうと、
生きづらさを感じるようになります。

私らしくありたい。
同時に、社会の中でも受け入れられていたい。

「認められたい」と言うと大げさかもしれません。
けれど、自分だけが切り離されているように感じるのは、
とても辛いものです。


自分らしさとは何か

では、「自分らしさ」とは何でしょうか。

私たちはしばしば、
他者との比較の中に自分というものを見出そうとします。

しかし、もし自分というものを
他者との関係性の中だけで作り上げているのだとしたら、
それは本当に自分らしいと言えるのでしょうか。

もしかすると「自分らしさ」とは、
思っているよりも曖昧なものなのかもしれません。


変わり続けてきた自分

私自身、両親のもとに生まれ、
家族という他者との関係の中で自分を意識してきました。

保育園の中での自分。
小学校での自分。
中学生の自分。
高校生の自分。

それぞれの環境の中で、
自分のあり方は少しずつ変化してきました。

そこには、

  • 先生との関係
  • 友人との関係
  • 置かれた環境

がありました。

その中で、私の「自分らしさ」もまた
変化してきたのだと思います。


役割の中でつくられる自分

社会に出てからも同じです。

教員としての自分。
営業マンとしての自分。
経営者としての自分。

それぞれ違う自分だったでしょう。

親としては、
自分が思い描く父親像を持ち、
そうありたい自分へ向かおうとしてきました。

振り返ると、
私は絶えず「自分」を作り続けてきたように思います。

もしその時々に
「自分らしさとは何ですか」と聞かれていたなら、
答えはその都度違っていたでしょう。


無理をしていた自分も、私

時には無理をし、
時には自分を偽りながら生きてきました。

けれど、そのどれもが
その時の私だったのだと思います。

無理をして頑張るのも私。
別の自分になろうとするのも私。

そのときは、それが
「私らしい生き方」だと信じていたのです。


変わらない自分

では、無理をしていると感じたとき、
私はどの自分に対して無理をしていたのでしょうか。

自分を偽っていたとき、
何が偽りだったのでしょうか。

そこにはきっと、
ベースとなる自分があったはずです。

「こうありたい自分」
「これこそが自分らしさだ」と思う自分。

そうした自分がある一方で、
もっと根源的に存在し続けている私もいます。

環境が変わっても。
友人が変わっても。
立場が変わっても。

変わることなく存在している私。

もしかすると、
その私を閉ざそうとしたり、
無理に変えようとしたりすることが、
私の生きづらさの一因だったのかもしれません。

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