人生に迷うとき
学生さんであろうと、社会人であろうと、
仕事をしていようと、仕事をしていまいと
日々何かしらの出来事があり、
一日一日が積み重なっていると思います。
ある人は楽しく日々を過ごし、
ある人は自分の役割のために、
また、ある人は自分の夢に向かっているかもしれません。
中にはふと立ち止まり、
これでいいのだろうかと
人生に迷ってしまっているかもしれません。
今、迷いの中にいて、
思うような人生ではないと感じているのなら、
自分の思うような人生とは、どのような人生なのでしょう。
どのように生きれば良いか、
迷いの中を彷徨っている状態では自分の望みとは何か、
本当の望みを知ることさえできないのではないだろうか。
漠然とお金持ちや、出世、何かの成功を夢見ながら、
目の前の一歩の踏み出し方がわからないで迷うのは
私だけではないと思います。
私の場合、親が始めた事業があり、
その継承も選択肢の一つとしてありました。
若い頃は親の後を継ぐのではなく、
自分は自分の道を行こうとしました。
それでも事業を継承したのは、
経営者として力を試したい思いとともに、
心のどこかで、それが私の役割だと感じていたと思います。
本当の望みではなかった
父の事業を発展させていくことが
私の本当の望みだったのか、疑問です。
父を越えなければならない。私の力を示さなければと、
父と自分とを比べていただけだったのかもしれません。
自分の力を試せるのではないか。
役割を果たせるのではないかと思っているだけで、
本当は何がしたかったのかという肝心な部分が
抜け落ちていたから常に迷い続けてしまったのだと思います。
事業を大きく発展させるという野望はどこへやら
跡継ぎという役割を果たすことで責任を果たしていると、
父を越えられない自分を正当化するのでした。
人生の意味を求めて役目を探していた
私の本当の望みとは何だったのか、わからないまま、
否、分からないから役目を果たし続けたのでしょう。
どのように生きて良いかわからない自分を誤魔化すために。
「自分は何のために生きているのか意味を感じたい」
本当に望むことをしていなければ、
結局は迷いの中を彷徨い続けるだけです。
本当の望みとは
人生を変えたい。
役割を果たすだけでは変わりませんでした。
本当に何がしたいのか、
将来の姿を想像するだけではわかりませんでした。
望みは作り出そうとするものではなく、溢れてくるもの。
何をしなければならないか、考えて得られるものではなく、
進みたくてどうしようもなくなるもの。
自分を止めようとしても抑えられない熱量なのだと今は思います。
役割のために生きるのは、大きな理由になります。
それが自分を納得させる動機にもなります。
しかし、役割だからというだけでは、納得し続けられません。
どこかで違和感を覚えてしまいます。
違和感が沸きあがってきたのなら、
自分を解放するときが来たのかもしれません。
役目のためではない人生。
違和感を解いていく。
私が自分を解放していくことができたのは
出会いや助けのお陰でした。
そんな私の日々が参考になるかもしれません
評価を得るために自分らしさを失ってしまった私

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