したいことをすればいい。それがわからない
子育てに必死になってきた私は、
あるときふと思いました。
子育てを終えたあと、
私は何をすればいいのだろう。
といっても、
これまで続けてきた仕事や生活を
すべて変えようというような
大げさな話ではありません。
自分の情熱を
どこへ向ければいいのだろう。
夢中になれるもの。
それは趣味でも良かったのだと思います。
子育てを終え、
自由な時間が増えたのなら、
「したいことをすればいい」と
よく言われます。
けれども、
その「したいこと」が
すぐに思いつかないのです。
子どもから離れるということ
何をすればいいのかと考えたのは、
子離れをしなければならないという
思いもあったからです。
これまで子どもに向けてきた思いを、
どこかへ向けなければ、
いつまでも子どものことを
気にかけ続けてしまうでしょう。
それは
これから旅立とうとする子どもにとって、
決して良いことではないと思いました。
子どもはやがて自立していきます。
親元を離れ、
自分の道を歩き始める。
その道は、
親が思い描いていたものとは
違っているかもしれません。
むしろ違っていて当然でしょう。
それを見送ることも
親の役目なのだと思いました。
子ども中心の生活から、
もう一度
自分の人生へと視線を戻す。
そんな時期が来ていたのです。
誰かのために生きる心地よさ
振り返ってみると、
子どもが生まれたこと、
子どもを育てることが、
私に生きる意味を
与えてくれていたのかもしれません。
家族のため。
子どものため。
「誰かのため」に生きることには、
どこか心地よさがあります。
仕事をして生活をすることも、
家族のため、子どものためと思えば、
「なぜこの仕事をしているのだろう」
「この生き方でいいのだろうか」
そんなことを
深く考えなくても済んでいました。
本来なら
自分に向けられていたはずの思考は、
家族、特に子どもへと向かっていました。
だからこそ、
「自分とは何か」
「人生とは何か」
そんな問いと
向き合わずに済んでいたのかもしれません。
夢中というより、
必死だったと言ったほうが
近いかもしれません。
がむしゃらに過ごしてきた
およそ20年。
その歳月は、
人生の半分ほどの時間でもあります。
人生の折り返しで立ち止まる
40代半ばになったとき、
改めて自分と向き合おうとしました。
けれども、
どこから自分を見つめていいのかさえ
わかりませんでした。
平均寿命を考えれば、
人生の折り返しを過ぎた頃です。
仕事の定年を考えても、
人生の半ばは過ぎています。
それなのに、
自分とは何なのか。
自分は何をしたいのか。
それがよくわからない。
ここまで生きてきたにもかかわらず、
自分を見つめたとき、
わからないことばかりでした。
自分のために生きるという難しさ
子育てを終えたことは、
ある意味、大きな責任を
果たしたとも言えるでしょう。
「これからは好きなように
生きればいい」
そう言われることもあります。
けれども、
いざその時を迎えると、
自分が何をしたいのか
わからないのです。
それどころか、
自分というものが
よくわからない。
誰かのためではない自分。
自分のために生きることは、
思っていたより
ずっと難しいものなのだと感じました。
人生を折り返したというより、
「まだ半分もあるのだろうか」
そんなふうに
思えてしまうことさえありました。
私と同じように
感じている人も
きっと少なくないのではないでしょうか。
思考の堂々巡り
したいことは何か。
私には何ができるのか。
どんな選択肢があるのか。
その中に
自分にできそうなものはあるのか。
思考は堂々巡りを続けます。
ふと周りを見ると、
他人が輝いて見える。
それに比べて自分は、と
人と比べ始めてしまう。
結局、
一歩を踏み出せないまま
時間だけが過ぎていきます。
何かを終えたときに訪れるもの
これは子育てだけでは
ないのかもしれません。
何かに
真剣に向き合ってきた人ほど、
その「何か」が
終わったとき、
どうしていいかわからなくなる
ことがあるのではないでしょうか。
それまでの人生で
それが一番大切なものだったなら、
その次にしたいことを
すぐに見つけるのは
簡単なことではありません。
もし誰かに
「二番目にしたかったことは何ですか」
と聞かれても、
答えが見つからなくて
当然なのかもしれません。

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