仏教との出会い
人生に迷ってしまっていた頃、
手塚治虫さんの漫画『ブッダ』に出会いました。
その内容を通じて、ブッダの人生に興味を引かれた私は
仏教に人生のヒントがあるのではないかと感じました。
仏教を学ぶために手にしたものは、原始仏典と呼ばれる経典。
ブッダがかつて語ったであろう言葉が書かれています。
しかし、経典を読み進めていくと、
わからないことが多く出てきました。
また、自分事としてどのように受け止めれば良いのか
自分の人生への生かし方がわかりません。
私が求めていたのは、どういう人生だったのだろう。
実際に僧侶に質問をぶつけてみたい。
そう思うようになっていきました。
多くのお寺を訪ね、やっと出会えた僧侶に
私は自分の思いを打ち明けてみました。
僧侶からの言葉
「私は未だ、何者でもありません。
何者かになりたいのです」
そう訴える私に対して、
僧侶は「何者にもならなくて良い」と答えました。
その言葉に、私はとても戸惑いました。
成長するために助言を求めたにもかかわらず
「なぜ何者かにならなければならないのか」と問われたのです。
「何者か」とは何だったのか
やがて私は、その言葉の意味を見つけていきました。
私が求めていた「何者か」になるとは、
自分らしさとは、全く違うものだったのです。
僧侶は、自分を見失っている私に気づいていたのでしょう。
それ以上まだ自分を作ろうとするのですか?
それは、あなたではありませんよ。
そんな風に思っていたのではないでしょうか。
経済的な成功と言われるもの。
役職など地位や名誉。そうしたものが生きる意味ではない。
本当に大切なものがあると伝えたかったのでしょう。
評価のための人生
親が求めるような子供でいようとしました。
尊敬する先輩教員に認められる教員になろうとしました。
家業を継承したときは、再び親に認められようとしました。
私は、自分ではなく、常に他者と向き合っていました。
私はどうしたいのか、など考えもしませんでした。
誰かに認めてもらうためだけに生きていたのだと思います。
親の期待と依存
親が期待する子供、親の理想とする子供になるとは、
親の人生を満たすための生き方です。
私自身がそれを望んでいたのだと思います。
評価され、認められることが嬉しかったのです。
親に対する甘えをずっと引きずって生きてきたのでしょう。
誰かに対しての依存といっても良いかもしれません。
自分と向き合うことを避けていた
「何者かになろう」
それは何も間違いではないと思います。
ただ、私は間違ったものを目指してしまった。
自分を見失ったままでは、何者かになるよりも
まず、自分を知ることが大切です。
私は、自分と向き合うことを避けていたのです。
何者かになるのだと言い続けて生きている自分を
求道者のように思いたかったのかもしれません。
しかし、それは自分の人生ではありませんでした。
自分探しは、一人では難しいものです。
誰かの一言がハッとした気づきを生むことがあります。
私もあの僧侶のような存在になれたらと思います。
だからこそコンセプトには、足すのではなく引く
を掲げています。>
生きづらさから抜け出すために|「足すのではなく引く」という考え方
自分を知るためには
何者にもならないそのままの自分の素晴らしさに
気づいていただきたいからです。
HANEはどのようなセッションをしているのか
こちらで紹介しております。

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