死の恐怖と、意識への疑問
私は幼い頃、常に死の恐怖を感じていました。
単純に死が恐ろしいという思いはもちろんですが、
死後、この意識はどうなってしまうか考えてしまうのです。
死んでしまえば身体はなくなりますが、
私の想像では身体とは切り離れた、
この意識だけは残っているのです。
私のこの意識は、いつまであり続けるのだろうか。
地球がなくなってしまった後もあり続けていて、
終わりがないのではないか、という恐怖です。
火葬され灰になってしまう身体のように、
私というこの意識も消えてなくなり
すべてがなくなってしまうなど考えられないのです。
生まれ変わりと意識の願い
生まれ変わりが現実にあるとしたなら、
姿を変えて別の人間として生まれたときも
意識は、この私のままであってほしい。
身体とは別に存在する意識。
身体を離れて漂う意識と、その未来を想像すると
答えなどわからず、ただ涙があふれました。
キューブラー=ロスとの出会い
キューブラーロス氏の『死の瞬間』という本を読みました。
彼女はホスピス(終末医療)の先駆け、看取りのプロです。
死をテーマにした本をたくさん書かれています。
死にいく人との触れ合いの中で見出した死へのプロセス。
否認-怒り-取引-抑うつ-受容の五段階が有名ですが、
私が惹かれたのは、死と、その過程をテーマにした授業です。
その授業の講師には、患者本人を招いていました。
自らの死について話したい患者は多く現れます。
なぜ患者さんたちは語りたかったのか。
医療が進み、死は医学にとって敗北とみなされると、
患者はその意思とは無関係に家族と引き離され
死なないための医療が施されます。
そこには一人の人としての尊厳はあるのだろうか。
自らについて語りたい患者さんが多くいたのは、
一人の人間として訴えたかったからだと思います。
そこにはまだ役割を持っていたい、何者かでありたい、
自分という人間について知ってもらいたい、
生きる意味を感じていたかったのではないだろうか。
死の受容とは何なのか
私には、死の受容とは諦めではないか、と思えました。
まだ生き続けていたい意識を何とか誤魔化して
目の前に迫る死に対応しようとしているだけではないか。
しかし、そうではなく患者さんたちは死を受け入れていくのです。
死の受容というものは意識的なものではないのではないか。
意識とは別に受容するのかもしれないと思うようになりました。

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