生きづらさの原因
単純に「生きづらい」と言っても、
その理由は人それぞれです。
何をもって生きづらいと感じるのかは、
人によって違います。
他の人から見れば
「そんなことで」と思えることでも、
本人にとっては
とても苦しいことがあります。
思うようにならない現実
生きづらさの一つの理由として、
「思うようにならない」ということが
あるのではないでしょうか。
もちろん、
世の中が思うようにならないことは
当たり前のことです。
それでも渦中にいる人にとっては、
必死に生きているのに
なぜうまくいかないのだろうと
苦しく感じてしまいます。
ここで言う
「思うようにしたい」というのは、
自分のわがままを通したい
ということではありません。
無理なことを
押し通そうとしているわけでも
ないと思います。
人間関係の違和感
例えば、
周囲の人たちとの関係です。
学生であれば、
クラスの人たちとうまくいっていない
ように感じてしまうことがあります。
会社であれば、
- 上司に理解してもらえない
- 同僚とうまくいかない
- お客様に自分の思いが伝わらない
そんなふうに感じることも
あるでしょう。
自分としては
うまくやっていきたいと思っている。
コミュニケーションも
取っているつもりなのに、
なぜか
違和感が生まれてしまう。
そんなとき、
人は生きづらさを感じてしまいます。
誤解されていると感じるとき
そんなつもりはないのに
誤解されてしまう。
自分だけが
その場の環境から
切り離されているように
感じてしまうこともあります。
「あの人が
もう少し分かってくれたら」
「あの人が
少し変わってくれたら」
そんな期待を
抱いてしまうことも
あるかもしれません。
教員だった頃の私
私自身も、
「なぜだろう」「どうしてだろう」と
思うことが多くありました。
教員をしていた頃、
私は
学校は学生にとって
楽しい場所であるべきだ
と思っていました。
わかりやすく、
楽しい授業をすること。
行事や部活動など、
授業以外にも楽しみがあること。
環境整備を行い、
心のケアも大切にすること。
学生のために
自分にできることを
一生懸命やろうとしていました。
理想と現実
自分の中に
理想の教員像や学校像が
できてくると、
他の教員も
同じように考えてくれたら
と思うようになりました。
もしすべての教員が
同じ理想に向かえば、
学生にとって
より良い学校になるはずだと
思ったのです。
しかし現実は
思うようにはいきません。
そのうち私は
不満を感じるようになりました。
「なぜ分かってもらえないのだろう」
そんな思いが
次第に強くなっていきました。
自分が正しいと思うとき
そのときの私は
自分は正しい。
そう思っていました。
私と同じように
考えない人たちは
間違っているのではないか。
私の意見を聞いてくれない人たちに
疑問を感じていました。
後になって見えたこと
では、
私は素晴らしい教員だったのか。
今振り返れば、
決してそうではありません。
さまざまな考え方の教員がいるからこそ、
学生にとって良い環境が
生まれるはずです。
けれども当時の私は、
自分だけが学生のことを
思っている
そう思い込んでいたのかもしれません。
他の教員の考え方を
柔軟に受け入れていたのか。
話し合おうとしていたのか。
そう考えると、
決してそうではありませんでした。
生きづらさを作っていたもの
私は
「自分が正しい」
と決めていました。
そして
「あの人は間違っている」
と決めていたのも
自分でした。
思うようにならない現実に
不満を抱き、
イライラしながら
生きづらさを感じていました。
しかしそれは、
自分の思考が
作り出していたもの
だったのかもしれません。
思い込みが強くなるとき
一度
「分かり合えない」と
思い込んでしまうと、
人は
どんどん頑なになります。
最初は
自分の考えを主張していた私も、
やがて
諦めるようになりました。
ここでは
思うようにやっていけない。
この環境が
いけないのだと。
本当に学生のためだったのか
けれども、
今になって思うのです。
そんな私が
本当に学生のために
なっていたのだろうか。
自分と違う考え方を
受け入れようとしない人が、
さまざまな学生に
向き合えるはずがありません。
私はただ
自分の理想を
押しつけようとしていただけ
だったのかもしれません。
生きづらさの正体
私が正しいと決めていたのも、
私。
あの人が間違っていると
決めていたのも、
私。
思うようにならない現実に
苦しんでいたのも、
すべて自分の思考だったのです。

コメント