知らなかった自分に出会う|坐禅体験でのこと

坐禅体験から始まった変化

人はそれぞれ、何かしらの出会いによって学びがあり、
気づきがあり、それによって人生が変わることもあります。

私自身の気付きの始まりは坐禅体験。

そこで何が起きるかなど全く考えてもいません。
ただ一度、体験してみたかった。それだけの思いでした。

ですが、その時間が私にとって大きな気づきとなりました。

集中できない私

私が体験した座禅は、20分間。
自分の吸って吐く息の数を数え続けるというものでした。

指示されたように足を組み、姿勢を正し、
静かに呼吸へと集中していきます。

緊張感もあり、始めは順調に呼吸数を数えていた私でしたが、
しばらくすると、部屋の外を歩いていく人の音が気になったり
経過時間が気になったりしました。

やがて、今の呼吸数がわからなくなりました。
42か、43回のはず。
私は確実に記憶にある40回から数え続けることにしました。


僧侶の問い

坐禅体験を終えると、僧侶の説明が始まります。

「長い時間呼吸だけを数え続けていますと、
途中で数がわからなくなるものです」

「数がわからなくなったときどうしたか、それがあなたです」

僧侶の説明は続きました。

「数がわからなくなったとき、数えるのをやめる人がいます。
適当な数から数え続ける人がいます。
1から再び数えなおす人がいます。それがあなたです」

最初は集中していたのですが、途中で集中が切れました。
そのとき、私は適当な数から数え続けました。
この数までは間違いないと思える数字から。
そんな自分を謙虚だと思っていました。


行動がその人を表す

私は自分を謙虚だと思っていたことが恥ずかしくなりました。

私は最後まで真面目に数え続けた人でありたかった。
正解などわかりませんが、
20分間の呼吸数は、〇回でしたと言いたかったのです。

回数がわからなくなった時、数えるのを止めるなど考えられません。
1から数え直すなどと言う発想などありませんでした。
僧侶の説明を聞いた時、1から数え直す人こそ謙虚だと思いました。

適当に誤魔化した自分が謙虚であるはずがないと思ったのです。


自分と向き合うという体験

もちろん正解はありません。どんな人であろうとかまいません。
ですが、この体験から私は私自身と向き合うことが出来ました。
知らなかった自分と出会うことができました。

私の思う謙虚さは、決して謙虚ではありませんでした。
私が思っている常識など、私の勝手な常識なのです。

私は私を生きています。この私でずっと生きてきました。
他者のことには気づくことが出来ても、
自分のことには気づいてはいませんでした。

私が行っている評価は、私の価値観によるもの。
にもかかわらず、その評価が正しいと思い込んできました。
実際は私自身が偏っていたことに気づいていませんでした。


自分の価値観を疑う

呼吸数を誤魔化した私は物事を正しく評価できるのだろうか。
もちろん、何が正しいかなど、正解はありません。
ただ、私の価値観など当てにならないということは確かです。

私の目は外側の世界は見えていても、
自分のことといえば顔を見ることも出来ません。
自分の内面について客観的に観ることなど出来ませんでした。


変化の第一歩

自分自身に疑いを持つことが出来た。
それが私にとって変化の第一歩目でした。
今もなお私は私のすべてをわかっていません。

永遠に客観的に知ることなど出来ないかもしれません。
それでも自分を知ろうとすることが、
自分を変えてくれると思います。


話す瞑想、作る瞑想

坐禅は坐って行う瞑想と言えるでしょう。
HANEが大切にしているのものも「瞑想」です。
心を整えるという意味では同じです。

集中し、自分の想いを言葉にしていく。
それは自分と向き合うこと。まさに瞑想です。

そこに気づきが起きる。
それが対話の時間が話す瞑想と言える理由です。

集中し、自分の思う形に土を整えていく。
それも自分と向き合ることも、瞑想と言えます。

そこに気づきが起こる。
それが土に触れる時間が作る瞑想と言える理由です。

対話の時間、土に触れる時間について
こちらも、ご覧ください。

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