人生を振り返ってみる
これまでの人生を振り返ったとき、
楽しかったこと、嬉しかったこと、心が満たされた瞬間が
何かしらあったのではないでしょうか。
もちろん上手くいかないことも多く、
なぜ、どうしてと悩んでしまうことも多くあるでしょう。
そんなとき、つい私の人生には何もいいことがない
と思い込んでしまうもの。
私自身もなぜこんなに辛いのだろうと
苦しかったことだけが思い出され、
逃げ出したくなってしまったときがあります。
落ち着いて冷静に振り返ってみれば、
ある意味私は十分満たされていたと思います。
自分の価値観を満たそうとしてきた
望む仕事に就けた時も新しいチャレンジに向かった時も、
やる気に満ちていて、これがすべきことだと思えました。
ところが、しばらくすると、考え始めてしまうのです。
「これが本当に望んでいたことなのだろうか」と。
私はこの人生において、何を望んでいるのだろう。
何かしら思うようにならないことがあると、
躓いてしまうのです。
そんな頃の私は自分の価値観を満たそうとしていました。
自己顕示欲、承認欲求、虚栄心、様々な思い。
他者と自分を比較し評価を続け、
他者からの評価を求めるあまり
自分の望みを見失っていきました。
評価では満たされない
望んだはずの他者から評価を得られたら
満足できるのかといえば、そうでもありません。
やりたいことをして、評価を感じ続ける。
それで初めて満足できるのかもしれません。
人生の所々で味わった楽しさ、やりがいを、
自分の価値観や、他者からの評価を気にするあまり
打ち消してきてしまったのかもしれません。
そうして、いつの間にか
自分が本当に望んでいたことを
見失ってしまったのではないだろうか。
本当の望みとは何か
本当の望みとは純粋なものなのだろうと思います。
意識的に望んだり、打ち消したりできるものではなく、
作り出せるものでもないと思います。
それは動物が持つ本能のようなものではないだろうか。
抑えられない衝動であり、そうせざるを得ないこと。
理由を考えたところで答えさえ見つけられないもの。
そのくらい反射的な反応だと思うのです。
そこに私は理由を求めてきたのかもしれません。
反射的反応を自ら否定してきてしまったかもしれません。
ワクワクするような衝動は私にもありました。
そのたびに何かの理由を探してしまいました。
本当の望みを知るために
楽しさ、喜び、やりがいを感じて始めてみる。
しかし、それが評価されなければつまらない。
これが本当に望むことだったのかと考え出し、
始めようとした理由を探し求める。
否、これは本当の私の望みではないのではないか。
もっと誰からも認められる何かを
私自身が納得できる何かを探し求めなければならない。
そうやって考え込んでいくことで、本当の望みが何なのか、
わからなくなっていったのだと思います。
もしかしたらあれが本当の望みだったのではないかと、
過ぎ去ってしまってから思う。
そうやって後悔を重ねてきたように思います。
私は私の思考を満たすために必死に考えてきました。
しかし、同時にやりたいという衝動を
打ち消してしまったのだと思います。
本当の望みは、理由を探すものではなく、
もっと感覚的なものだったのだと今は思えます。
本来の自分へ還る。
本当の自分へ還ることで評価も比較もない
誰のものでもない自分の人生に出会えます。
私は自分に目を向け自分に気づくところから始まりました。
それはどういうものだったのか。
私が、自分に気づき自分の望みを知るまでにおきたことが
何かしらのヒントになればと思います。
こちらの記事で、私の実体験を紹介しております
知らなかった自分に出会う|坐禅体験でのこと

コメント