「人生を楽しめない」理由
人生を楽しめない理由の一つは、
夢中になれるものが何もない状態に
あるのではないでしょうか。
仕事もある。
趣味もある。
家庭に問題があるのでもない。
それでもなぜか「生きている実感」
が持てずに空虚な日々を過ごしている。
休日が待ち遠しい。
しかし、せっかくの休日のはずが楽しめない。
疲労だけが溜まりまた一週間が始まっていく。
気づけば自分が何をしたいのかわからず
やがて自分さえもわからなくなる。
そんな経験が私にもあります。
自分が憧れた仕事へ就くことができても、
新しい挑戦を見つけても
すぐに何かが足りないように感じてしまいました。
新しい趣味を見つける。旅行に出かけてみる。
日常を忘れるために、非日常を感じられる場所へ行く
観光地の賑わいに身を置いてみることもありました。
平日は仕事がある有り難さに感謝しよう。
今日もやるべきことがある。
自分にも役割がある喜びを感じようとしました。
客観的に見れば空虚に感じる生活ではないではないか。
十分に満たされているではないか。
何を贅沢なことを言っているのだと思えます。
しかし、何かが足りないように思えてなりません。
私は、夢中になれるものが欲しいと思うようになりました。
実際に何かを見つけようとするのですが
自分が何に夢中になれるのかわかりませんでした。
幼い頃できなかったことを取り戻そうとして見たり
興味を引かれた物作りに挑戦してみたり
何かしらの趣味を持つことで自分を満たそうとしました。
そのどれもが、始めたときは夢中になれるのですが、
過ぎに何か違うような感覚に陥ってしまう。
私に足りないものは何なのだろう。
私の人生に何が加わったなら
私は充実感を持って生きられるのか考えました。
目を輝かせ何かに夢中になっている人の姿が
眩しく見えます。
人が羨ましく思えるとますます自分を卑下してしまいました。
その当時の私に何が起きていたのか、今はわかります。
仕事に求めていたのは役割を果たすこと。
それによって人から評価されること。
何をしていたら人目を引くだろうと考えてしまう。
家庭に満足できない理由も求め過ぎるからです。
当時の私に必要だったのは何かを加えることではなく
そんな自分の考え方を引いていくことでした。
自分が何をしたいのかが見えないままで、
人生に何を加えても、結局は満足できません。
どんなに役割をこなしていっても、
それによって評価されることが目的なら見当違いです。
私にはどうすることもできない人からの評価を
気にするのではなく、
私自身の満足、喜びのために生きればよかったのだと思います。
やりたいから始める。ただ楽しい。
それ以外に何が必要だったのか。
なぜ自分探しをすると迷うのか
「夢中になれるものがわからない」という感覚こそが、
自分がわからない状態の一つの原因だったように思います。
自分がわからないとき、その原因を見つけるのは簡単ではありません。
理由がわからないから、さらにわからなくなる。
自分を知ろうとするほど、暗闇の中を彷徨うような感覚になる。
何が足りないのかもわからない。
何に不満があるのかもはっきりしない。
ただ「このままではいけない」という感覚だけがあり、
何かを求めているのに、その「何か」さえわからない。
その結果、自分がますます遠くなっていくのです。
望みについて、何かしらヒントになればと思います。

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