僧侶からの言葉
私が求めていたのは、この人生だったのだろうか。
「何者かになりたいのです」と打ち明けた私は、
僧侶に「何者にもならなくて良い」と言われました。
その瞬間、私はとても戸惑いました。
成長するために助言を求めたにもかかわらず
「なぜ何者かにならなければならないのか」と問われたのです。
「何者か」とは何だったのか
やがて私は、その言葉の意味を見つけていきました。
私が求めていた「何者か」になるとは、
人に評価される人になろうとしていたのです。
経済的にでもいいでしょう。
役職など地位や名誉でも良かったのだと思います。
振り返れば、幼い頃からそうした価値観がありました。
評価のための人生
親が求めるように勉強し、期待に沿う点数を取ろうとしました。
教員をしては尊敬する先輩教員に認められるため必死になりました。
家業を継承したときは、再び親に認められようとしました。
私は、自分ではなく、常に他者と向き合っていました。
私はどうしたいのか、など考えもしませんでした。
誰かに認めてもらうためだけに生きていたのだと思います。
親の期待と依存
親が期待する子供、親の理想とする子供になるとは、
親の人生を満たすための生き方です。
私自身がそれを望んでいたのだと思います。
評価され、認められることが嬉しかったのです。
親に対する甘えをずっと引きずって生きてきたのでしょう。
誰かに対しての依存といっても良いかもしれません。
自分と向き合うことを避けていた
自信が無いから、誰かしらの評価を気にし続けます。
そんな自分に気づかない、否、気づいていたのかもしれません。
自分と向き合うことを避けてきたのだと思います。
何者かになるのだといい続けて生きている自分を
求道者のように思いたかったのかもしれません。
しかし、それは自分の人生ではありませんでした。

コメント