人生の迷いは「選択の迷い」として現れる
私自身、常に迷ってきたと言っても良いと思います。
何を選択するにも迷いがあり、
必死に考えて選んだはずなのに、
すぐにこれで良かったのかと疑いが生まれます。
どのように生きればよいかわからない。
疑心暗鬼な状態では自分に自信など持つことはできず
いつしか、些細な選択にさえ迷うようになっていきました。
私たちの日常は選択の連続であり、
何を選ぶかによって、その後に起こることは変わっていきます。
自信のない私は、これで良かったのかと、
常に自分の選択に不安を持っていました。
そして、予期しない出来事が起きるたびに
自分の選択が間違っていたように思ってしまうのでした。
人生は、日常の一つ一つの選択によって変わっていく
と言っても過言ではないでしょう。
では、迷いの中で選んだものは、
本当に自分の人生となっていくと言えるのでしょうか。
本来の人生とは、
迷いのない選択の積み重ねの上に
築かれていくものだと思います。
では、「迷いがない」とは、どのような状態なのでしょう。
私自身、迷いの連続の中で生きてきました。
どう生きればいいのか。どうあるべきか。
常に考え続けてきたのです。
しかし、自分のことにもかかわらず、
本当の望みがわからない。
その状態では、どの選択にも確信が持てず、
「別の道を選んでいたら」と思い続けることになります。
私に足りなかったのは、思考力だったのでしょうか。
もっと深く考え、
「自分はどうすべきか」を
問い続けるべきだったのでしょうか。
思考では、迷いは解決できなかった
思考では迷いは解決できないだけでなく
さらに迷いを生み出していたように思います。
「ぶれない自分」をつくらなければならない。
確固とした信念を持たなければならない。
そうやって、「何者かになろう」とするほどに、
私は自分を見失っていきました。
あるとき、こう言われました。
「立ち止まり、その考え方を手放してみませんか」
その真意は、すぐには理解できませんでした。
さらに、「あなたの中のあなたを見つめてみて」
と言われたときも、その意味はわかりませんでした。
手放しても残るもの
ある言葉がきっかけになりました。
「どんどん手放していっても、最後に残るものがある」
そのとき、少しだけ理解できた気がしました。
「何者にもならなくていい」
そう語ってくれた僧侶の言葉とも、つながっていきます。
私たちは、何者かになろうとし続けます。
変わろうとし続けます。
けれど、手放していった先に残るもの。それこそが、
生まれ持った「変わらない自分」ではないだろうか。
何者でもない自分。しかし、その自分こそが自分。
この自分のままで良いのだと思えたとき、
何も気にする必要はないのだとわかりました。
これまでの人生で、私はこう思ってきました。
変わりたい。
何者かになりたい。
なぜ自分にはこんなことが起こるのか。
他人がうらやましく見える。
そして、ときに自分を否定してきました。
自分を否定するから自信がもてない。
それだけでなく、何をするにも迷う。
けれど今は、こう思います。
あるがままに生きれば良いのだと。
ともにある想い
一人で気づけなかったことも
誰かに打ち明けてみることで、
誰かのちょっとしたアドバイスで、
気づける瞬間があるものです。
何者でもない自分に気づいていった体験については
こちらで綴っております。
40代、別の人生を生きようとした私が、原点に返るまで
生まれ持った変わらない自分については、こちらへ
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