いかに生きるのか
自分の人生を、いかに生きていけばよいのか。
幼い頃の自分。
学生の頃の自分。
社会に出てからの自分。
そして家族を持ってからの自分。
振り返ってみると、
私はその時々の環境の中で
「いかに生きるか」を考えてきたように思います。
人は社会の中で自分を知る
「人間は社会の中でしか自分を認識できない」
そんな言葉があります。
WHOの健康の定義でも、
健康とは身体的・精神的な状態だけではなく、
社会的に満たされていることも
重要な要素の一つとされています。
人は社会の中で生きています。
そして社会の中にいるからこそ、
自分という存在を感じることができます。
社会から切り離されてしまえば、
健康でさえ保つことが難しいのかもしれません。
私にとっての社会
幼い頃の私にとって、
社会とは両親を中心とした家族でした。
保育園に入ると、
保育士さんや同じクラスの子どもたちが
私の社会になります。
小学校、中学校と進むにつれて、
私にとっての社会は
少しずつ大きくなっていきました。
環境が変われば、
これまで知らなかった人たちが加わります。
そうして
自分を取り巻く社会は
少しずつ広がっていきました。
社会の中での役割
専門学校では、
県外から来たクラスメイトが多く、
さまざまな方言が飛び交っていました。
学ぶ内容も、
将来の仕事につながる
専門的なものへと変わります。
教育の目的も、
社会人として働ける人材を
育てることでした。
私はその環境の中で、
「どのように生きるか」を
考えていたように思います。
社会に出てからの自分
社会に出ると、
それまでとは比べられないほど
多くの人と関わるようになりました。
仕事をする以上、
役割を果たさなければなりません。
人との関わり方も、
学生の頃とは大きく変わります。
私の場合、
教員という仕事をしていました。
学生は、ある意味では
お客様でもあります。
学生に満足してもらうこと。
その対価として
賃金をいただいていました。
ですから、
どうすれば満足を提供できるかを
常に考えていました。
それは、
学生時代の同級生との関係とは
まったく違うものでした。
社会の中での自分
振り返ってみると、
私はいつも
「人との関わりの中での自分」
を考えてきたように思います。
どんな立場であっても、
どんな環境にいても、
人との関係の中で
自分というものを
捉えてきました。
そしてその中で、
どうすれば自分を生かせるかを
考えていました。
けれどもそれは、
自分を生きるというより、
周囲の人たちにとっての自分を
どう生かすか
ということだったのかもしれません。
人に合わせた自分
親に好かれる自分。
クラスの友達に好かれる自分。
先生に好かれる自分。
思春期になると、
反抗しながらも
「自分を分かってほしい」
という思いが強くなりました。
自己主張をしているようでいて、
結局はクラスの中での自分を
生きていたのだと思います。
社会人になっても、
状況は大きく変わりませんでした。
人の目を気にしながら、
組織の中での自分を
作ろうとしていたのです。
「いかに生きるか」という問い
こうして振り返ると、
「いかに生きるか」
という問いは、
自分一人の問題ではなく、
常に社会とセットになっていたように思います。
周囲との関係の中で
自分をどう生かすか。
それが
私の考えていた
「生き方」だったのかもしれません。
自分だけを基準にする難しさ
けれども、
あるとき思いました。
自分は
いかに生きればよいのだろうか。
周囲ではなく、
自分だけを基準にして
考えようとしたとき、
何を基準にすればよいのか
分からなくなったのです。
私たちはいつも、
- 誰にとっての自分なのか
- どんな社会の中の自分なのか
そうした関係の中で
自分を考えています。
社会と切り離して
自分を考えることが
とても難しいのです。
しかも、
その社会とは
今、自分が置かれている社会
でしかありません。
本当は、
どのような社会に身を置くのか
ということも
考えられるはずなのに、
そこまで
思考は及ばないのです。

コメント